ぼくの文章訓練所

野球とか声優とか動画サイトとか色々なことに感じ考え思うこと

ここは文章訓練所

僕が高校生の時、学校で小論文の模試を受けることがあった。

模試が終わった後、あるクラスメイトが周りからイジられていた。内容は「お前字汚すぎだろwww」みたいなことだったと思う。

僕も彼の回収される前の答案を横目で見て「確かに字汚いなあw」と思ったのだが、それと同時に「そんなに答案埋まってるの!?」とびっくりしたのを覚えている。

 

僕は作文の類が小学校の頃から苦手だ。書き出すのが異様に遅い。全体像が見えてから書きたいと考えるせいか、最初の文を書いては消し、書いては消しているうちに時間が経つ。この時もほとんど答案を埋められないまま提出することになってしまった。

当時の僕の成績はクラスで中の上くらい、対して彼はかなり下の方。国語の成績もそんな感じだったはずだ。だから無意識に彼を勉強面で見下していたんだと思う。

成績が良い人は良い文章を書ける、成績が悪いと文章が下手、という幻想が打ち砕かれたのは多分この時だ。そりゃそうか。仮にこれが正しいなら小説家はみんな東大生だ。

そう思って振り返ると、勉強は苦手だが作文は得意という友達はいたし、知的障害のある子が書いた卒業文集が素晴らしかったってこともあった。その時点で気付いててもよかったんだけどね。

作文と同じような理由で美術も苦手だった。そんなに遊んでいるわけでもお喋りしているわけでもないのに手が動かない。自由に作りなさい、と言われた瞬間から長考が始まる。

おそらく自分の納得する完璧なものを作りたいんだと思う。だから「まずテキトーに線を引いて」ということができなかった。

 

さて、この文章も今頑張って書いているのだが、どうだろうか?

多分、意味不明な文章にはなっていないはずだ。そうであってほしい。

もし大丈夫なら、僕にとっての目標はまず遅筆を改善すること。そして魅力ある文章が書けるようになることだろうか。立派な文章じゃなくてもいい。読みやすいとかユーモアがあるとか勢いがいいとか、読んだ人が何かを感じる文章を書きたいなあと漠然と思っている。

 

魅力ある文章で思い浮かんだのは、元プロ野球選手の藤井秀悟投手のブログ。一時期はよく読んでいた。普段は「TwitterInstagramのほうが…」と思うくらいの量と質で更新することもあったのだが、関わりの深い人が引退した時などはしっかりと文章を書いていた。

引退|藤井秀悟オフィシャルブログ『野球小僧』 by アメブロ

もっといいなと思った記事があったはずだが、見つからないので現役引退表明の時のものを。頭に浮かんだことを次々書いているように見えるので、おそらく下書きなどはしていないのだろう。僕の場合、書いている最中にあっちを足してこっちを直してと、文章の中を右往左往してしまうので、すらすらと読みやすい文章を書ける人を尊敬してしまう。そういう意味ではこの翌日の記事のほうがすっきりしてるかも。

 

あとはスワローズのマスコットのつば九郎のブログとか。

きみがいるだけで。|つば九郎オフィシャルブログ「つば九郎ひと言日記」Powered by Ameba

長年マスコットをやっているので監督や選手との関わりも深く、ファンが思わずジーンと来てしまうような文章を書く。キャラ的に文字が全部ひらがななのが難点といえば難点だが、これもまた味だ。

 

文章を書くのに慣れることも、僕がブログを書く目的の一つである。
この先、僕がブログを作文の訓練に使うことを許してほしい。いや、許されなくても書くけど。

よく言われることだが、文章力と読書量ってどのくらい関連があるんだろう。怠惰な僕は「そのために本を読もう!」とは思わないので、ブログとかネット上の記事を読むことで何とかならないかなー。

 

僕が野球を好きなわけ サッカーとの比較

僕は野球を見るのが好きだ。まだ地上波で巨人戦がよく放送されていた幼少の頃から今まで、一番見るスポーツはずっと野球だった。

だが、野球のどこを面白いと感じているのか考えたりはしてこなかった。そこで自分なりの考えを書こうと思う。

ここでは、多くの日本人にとって身近な団体スポーツであるサッカーと比較して考えていきたい。

 

最後まで信じられる

時間制限のあるサッカーの試合では、大差が付くと相手だけでなく時間との戦いにもなってくる。当然リードしているチームはボールを回したり、傷めたフリをして時間を稼ぐ。リードされている立場ではこれがもどかしい。

そうしているうちに、残り時間3分か1分か1秒か、どこかの瞬間に勝利を諦める時が来る。最後の瞬間まで勝利を信じることができないのだ。

 

野球の試合では、9回10点ビハインドの場面であっても、時間に急かされることはない。なにより最後のアウトが取られるまでチームの勝利を信じることができる。これが嬉しい。

 

喜ぶ機会が多い

野球の試合にはインターバルが多い。例えば打者がヒットを打った後、投手が三振を取った後、野手がファインプレーをした後の時間だ。この時間を使って、試合に対するリアクションを充分に取ることができる。歓喜の声を挙げる時間的な余裕がある。

 

サッカーにおいてその余裕があるのは、ゴールが決まった後くらいだろうか。芸術的なスルーパスが通っても喜べる時間が少なく、結局ゴールが決まらなければ数秒前の一瞬の歓喜さえかき消された気持ちになり、僕は寂しい。

 

見た目が特徴的な選手が多い

サッカーでは、最低限走れなければ選手として活躍はできない。そのためスリムな選手がほとんどで、一般的に見て太っていると言われるような選手はまずいない。

 

しかし野球では、スリムとは言えないような選手でも活躍ができる。体重100キロを超えるような選手が、それを活かした長打力で打線の中軸に座ることも多い。

また、足が速いだけの選手や守備が上手いだけの選手にも居場所がある。投げる打つ守る走る、その一つ一つに異なった能力を求められるため、一芸に特化した選手も重宝される。ここが面白い。

 

ものの魅力は裏表

以上が思い当たった野球の魅力だが、これの裏を返せばサッカーの魅力も見えてくる。

残り時間を計算して戦略を練ることも魅力の一つだし、展開が流動的で状況が次々と変化するので一瞬も気が抜けない。スリムな選手に魅力を感じる人もいるはずだ。

 

見る人、一人一人がどこに魅力を感じるかで好きなスポーツというのは変わってくる。だからこそ、地球上にはこんなに多くのスポーツが存在するのだ。

 

はじめましてと自己紹介

はじめまして。

 

他で書いたりもしたけれど、色々自由になりたくて、ブログをこちらで始めます。

 

はてなブログは意識高い記事が多いイメージだけど、知識も文章力もない僕は肩肘張らずに頑張るよ。

 

人の目は気にせず、記事の質は気にしすぎず、思ったことを書いていきます。

どうぞよろしくお願いします。