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高畑淳子に優しい人はこの親子に感情移入している

少し旬を過ぎた感はあるが、高畑親子の話。

ワイドショーなどでは、高畑裕太の母親である高畑淳子の謝罪会見は必要だったのかと話題になっている。

「お母さんが謝る必要ないのに」

と言う人もいるが、むしろ高畑淳子側にとって必要だからこそ会見を開いたのだと思う。

この先高畑裕太が芸能界に復帰するのはかなり難しい。ゆえにこれから息子の面倒を見ていくのであれば、母親は芸能界から干されるわけにはいかない。そのためにはこのまま沈黙して気を遣われるよりも、「息子のために涙する健気な母親像」をアピールしておくほうが得策だ。

実際あの会見を見て高畑淳子に同情している視聴者が大勢いる以上、この作戦は成功したと言えるのかもしれない。

 

ただ、これは被害者の感情を無視した行動だと言わざるを得ない。想像してほしい。自分を襲った犯罪者の母親がなぜか世間の同情を集めているのだ。被害者にとっては耐え難い苦痛だろう。

あの会見自体が被害者のためのものではないと言ってしまえばそれまでだが、被害者感情を無視した判断だったと僕は思う。

 

「高畑裕太はすでに成人しているのだから母親が謝る必要なんてない」

といった意見もよく聞く。

先述したようにあの会見は高畑淳子自身のための会見なわけだが、それを差し置いても母子家庭で育った弱冠22歳の息子の重犯罪に母親の責任がないはずがない。子の人格形成に最も影響を与えるのが親なのは言うまでもないし、母親の力で芸能界に入ったというおまけ付きだ。

本人が成人しているか否かは母親の責任の有無には関係がない。子の年齢によって親の責任が薄くなることはあっても、その全てがなくなることはないのだ。

 

「息子さんの性的嗜好についておかしいと思ったことはないですか?」

という記者の質問についても批判があるようだが、今回の事件に繋がるような出来事が過去にあったかを聞いただけであり、質問がおかしいとは全く思わない。むしろ最も聞かなければならない質問の一つだ。

ただもっと言えば、性的嗜好だけではなく「人の嫌がることをしてはいけない」という教育をちゃんとしたかも聞いてほしかった。そういう性的嗜好を持っている人の中でも、実際に強姦をする人はほんの一部。親の教育によって防げた事件だったかもしれないからだ。

 

そもそもこの状況で会見を開くなら厳しい質問が飛んで当然だ。それが嫌なら会見自体開くべきではないし、弁護士など代理人に頼むという選択肢もある。「犯罪者の母親という立場を慮った質問をしなさい」などという、加害者側に都合のいい話はない。高畑淳子は会見に際してその覚悟をしてきたのだと思うが、どうやらこの国には犯罪者の母親に優しい人間が多いらしい。

 

高畑淳子に優しい人はこの親子に感情移入している

高畑淳子に優しい人間は、無意識に高畑裕太に感情移入して高畑淳子に自分の母親を重ねている人が多いのだと思う。そして「もし自分が罪を犯しても母親には責任を感じてほしくない。自分の犯罪はすべて自分の責任であり母親の育て方には一切問題はなかった。」という認識が強い。

この考え自体は立派だが、これを高畑親子にも当てはめるのは間違いだ。自分の親の教育に問題がなくても、高畑淳子の教育に問題がなかったかはわからないのだから。

 

また、子供がいる親が高畑淳子に感情移入しているケースも考えられる。この場合は、「自分の子育てには問題はない。だから子供が犯罪を犯しても私に責任は一切ない。」といったところだろうか。

こちらの考えはどうかと思うが、いずれにせよ高畑親子に当てはめてはいけない。理由はもう一方のケースと同じだ。

 

往々にして、子は母親のことが好きなものだ。だから母親を擁護するような意見は人々に受け入れられやすい。高畑淳子をまるで被害者かのように扱う人までいる。

この件で高畑裕太に一番の責任があることは当然だが、会見での涙を見ただけで高畑淳子を擁護する人からは危険な匂いを感じる。情に流されているだけならまだいいが、安易にそのような意見を発信する風見鶏コメンテーターを、僕は警戒したい。